作文コンクール読売新聞社賞受賞!
読売新聞社主催「第59回全国小・中学校作文コンクール」山梨県審査において、本校3年生佐藤宇君の「忘れないよ!!」、一瀬友貴さんの「青春の一ページ」が中学生の部2位に当たる、読売新聞社賞を受賞しました。以下に、受賞作の全文を掲載いたします。
「忘れないよ!!」
3年C組 佐藤 宇
「ありがとう。ごめんね。」それが僕からサクラへの最後の言葉だった。今年三月二十日僕の愛犬サクラは三才という若さで病死した。
三月に入りサクラは病院と家の行ききを繰り返すようになった。日に日に病気が重くなっていくサクラを見るのは本当に辛かった。そんな中僕は学校行事の修学旅行のため、家を離れなければならなかった。そして修学旅行へ出かけた。修学旅行は友達と最高の一時を過ごした。しかし家に帰ると、サクラの病状はさらに悪化し歩けないようになっていた。しかし僕が家に帰ると、なんとか立ちあがってよたよたしながら僕の方へ来た。僕はこの時、サクラの命はもう長くないことを悟った。それから僕は残された時間でサクラに何をしてあげられるのか考えた。考えても考えても、もうすぐサクラと会えなくなる、そんな悲しみでいっぱいになりどうすることもできなかった。そしてついにサクラとのお別れの時がやってきた。三月二十日の朝、サクラは僕達に見守られる中、天国へ登っていった。僕はこの日、産まれてから一番涙を流した。拭っても拭っても止むことはなかった。悔しかった。サクラに何も出来なかった自分が。悲しかった。もう二度とサクラに会えないと思うと、なぜか不思議な気持ちになった。
サクラが亡くなって一ヶ月が経ち、今まで気付かなかったサクラの存在の大きさを感じた。近所の人や犬を連れた人々に「サクラちゃんはどうしたの」と尋ねられた。その度に、「病気で亡くなりました」と答えるのはなぜかとても辛かった。サクラと過ごした一日一日が本当に懐かしく、大切な思い出だ。どんな時も僕を支えてくれていたサクラ。死ぬ瞬間まで僕達に笑顔を振り撒いてくれたサクラ。三年間しか一緒にいられなかったけど、サクラと出会えてよかった。
僕はふいに死について考えることがある。サクラが居た時、それは死んでしまっても確かに僕達の心の中には残っている。しかし僕たちが死んでしまった時、その時、心の中で行きつづけていたサクラは死んでしまうことになる。すなわち、存在していた事、自体が分からなくなってしまうのだ。それは、しょうがないことかもしれない。だけど僕がサクラが生きている間に何かしてあげられなかった分、その分、サクラを忘れず共に生きていきたいと思う。どんなに辛くても、どんなに苦しくても、強く生き続けたい。そして最後にサクラへ、「今まで支えてくれてありがとう。」「どんな時も忘れないよ。」と伝えたい。
サクラが亡くなって一ヶ月が経ち、今まで気付かなかったサクラの存在の大きさを感じた。近所の人や犬を連れた人々に「サクラちゃんはどうしたの」と尋ねられた。その度に、「病気で亡くなりました」と答えるのはなぜかとても辛かった。サクラと過ごした一日一日が本当に懐かしく、大切な思い出だ。どんな時も僕を支えてくれていたサクラ。死ぬ瞬間まで僕達に笑顔を振り撒いてくれたサクラ。三年間しか一緒にいられなかったけど、サクラと出会えてよかった。
僕はふいに死について考えることがある。サクラが居た時、それは死んでしまっても確かに僕達の心の中には残っている。しかし僕たちが死んでしまった時、その時、心の中で行きつづけていたサクラは死んでしまうことになる。すなわち、存在していた事、自体が分からなくなってしまうのだ。それは、しょうがないことかもしれない。だけど僕がサクラが生きている間に何かしてあげられなかった分、その分、サクラを忘れず共に生きていきたいと思う。どんなに辛くても、どんなに苦しくても、強く生き続けたい。そして最後にサクラへ、「今まで支えてくれてありがとう。」「どんな時も忘れないよ。」と伝えたい。
「青春の一ページ」
3年D組 一瀬 友貴
「バスケ部に決めた。」駿中へ入学したとき迷うことなくバスケ部を選んだのはなぜだろう。思いあたることはない。
部活…。そう聞こえると耳をふさぎたくなることもあった。部活と聞いて喜ぶ姿や気持ち、私には全く分からなかった。ハードな練習・先輩の怖い目・怒鳴り声。走っても走っても終わらない。ゴールの見えない中にいた。誘われた朝練も嫌々ながら参加した。レギュラーを獲得することよりも欠席したい気持ちの方が明らかに勝っていた。その気持ちはだんだん大きくなっていき、朝連に参加しないことも増えた。辛かった。全てから逃げ出したかった。吐ける弱音は全て吐き出したかった。
私が一年生の冬、先輩が私の所へ来た。今度は何を言われるのかな…そう思っていたら「友貴前よりずっと上手くなったね。」先輩が言ってくれた。えっ?と耳を疑った。その冬の試合、私は一年生の中で上から二番目の番号をしょった。秋の大会では番号なんてもらえず、家に帰って涙を流した。一年生のみんながユニフォーム姿でいる中、私一人ジャージ姿でいることがとても悔しかった。だからこの冬番号をもらったことはとても嬉しかったし、十二番をしょえたことも嬉しかった。これだけでも喜んでいたのに更に良いものが降ってきた。それは試合に出させてもらったことだ。その経験は初めてで緊張してしまい、チームに貢献することは出来なかったけど今までの私の気持ちを切り換えさせてくれた。この試合がもっと頑張ろう、そう思わせてくれた。部活を好きになる第一歩だった。
他にもたくさんの試合を重ねてきた。一点差で負けた試合。みんなと一緒に初勝利をつかみに行った試合。どの試合もボールを追い続けた。走った数・追い続けた数の思い出がどんどん出てくる。
そして、私たちが戦える最後の試合、市総体が近づいてきた。何をするにも最後という言葉がついてくる。それを思うと悲しくなった。でも悲しさより市総体で勝ちたい、そう思う気持ちの方が大きかった。私自身も、きっとみんなも。だから今までにないくらい頑張って練習した。そんな中、アクシデントが発生した。レギュラー五人のうち二人が親指のじん帯の損傷と小指の骨折。このことを抱えて私たちは総体を迎えた。みんな一本でも多くシュートを決めようと必死だった。しかしシュート率は上がらず点差は開いていくばかりだった。悔しかった。こんなはずじゃない、そう思って出るだけの声と走れるだけの体力をコート内にボールに注いだ。涙が出てくるだけだった。泣いてもしょうがない、最後の試合涙でボールが見えないなんて嫌、頑張って走った。結果僅差で負けてしまったがみんなと一緒に戦えたことを誇りに思う。
深く考えもしないで選んだバスケ部の三年間は私の青春の一ページとなった。辛いことも嬉しいこともあったから部活を引退した今、あの汗と涙は単なる水滴ではなく、頑張った証だと胸を張って言える。
部活…。そう聞こえると耳をふさぎたくなることもあった。部活と聞いて喜ぶ姿や気持ち、私には全く分からなかった。ハードな練習・先輩の怖い目・怒鳴り声。走っても走っても終わらない。ゴールの見えない中にいた。誘われた朝練も嫌々ながら参加した。レギュラーを獲得することよりも欠席したい気持ちの方が明らかに勝っていた。その気持ちはだんだん大きくなっていき、朝連に参加しないことも増えた。辛かった。全てから逃げ出したかった。吐ける弱音は全て吐き出したかった。
私が一年生の冬、先輩が私の所へ来た。今度は何を言われるのかな…そう思っていたら「友貴前よりずっと上手くなったね。」先輩が言ってくれた。えっ?と耳を疑った。その冬の試合、私は一年生の中で上から二番目の番号をしょった。秋の大会では番号なんてもらえず、家に帰って涙を流した。一年生のみんながユニフォーム姿でいる中、私一人ジャージ姿でいることがとても悔しかった。だからこの冬番号をもらったことはとても嬉しかったし、十二番をしょえたことも嬉しかった。これだけでも喜んでいたのに更に良いものが降ってきた。それは試合に出させてもらったことだ。その経験は初めてで緊張してしまい、チームに貢献することは出来なかったけど今までの私の気持ちを切り換えさせてくれた。この試合がもっと頑張ろう、そう思わせてくれた。部活を好きになる第一歩だった。
他にもたくさんの試合を重ねてきた。一点差で負けた試合。みんなと一緒に初勝利をつかみに行った試合。どの試合もボールを追い続けた。走った数・追い続けた数の思い出がどんどん出てくる。
そして、私たちが戦える最後の試合、市総体が近づいてきた。何をするにも最後という言葉がついてくる。それを思うと悲しくなった。でも悲しさより市総体で勝ちたい、そう思う気持ちの方が大きかった。私自身も、きっとみんなも。だから今までにないくらい頑張って練習した。そんな中、アクシデントが発生した。レギュラー五人のうち二人が親指のじん帯の損傷と小指の骨折。このことを抱えて私たちは総体を迎えた。みんな一本でも多くシュートを決めようと必死だった。しかしシュート率は上がらず点差は開いていくばかりだった。悔しかった。こんなはずじゃない、そう思って出るだけの声と走れるだけの体力をコート内にボールに注いだ。涙が出てくるだけだった。泣いてもしょうがない、最後の試合涙でボールが見えないなんて嫌、頑張って走った。結果僅差で負けてしまったがみんなと一緒に戦えたことを誇りに思う。
深く考えもしないで選んだバスケ部の三年間は私の青春の一ページとなった。辛いことも嬉しいこともあったから部活を引退した今、あの汗と涙は単なる水滴ではなく、頑張った証だと胸を張って言える。



